通信大学用ブログ

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カテゴリ:世界史 > 12:主権国家体制

〜ポイント〜
*微に入り細をうがつことができない世界史の文化項目たち。「本質はそうじゃない」という意見が満載しそうな、教育するのに難しいところだと思う。一つ一つ自分で探求していくしかないだろう。
*啓蒙思想家はみんなフランス人だ。演繹的な合理主義がフランスで起こり、アンシャンレジームを「虚構」によって撃ち破ろうとするフランス・・・それに比するリアルな経験主義のイギリス。この対比は面白い。もっと追求した方が良いだろう。起業家・資本家とサラリーマンの違い。資本主義下で生き抜くヒントが隠されている。
 *ホリエモンっぽいって思ったカルヴァン派も、フランスだしな。

*ラシーヌは興味深い。悲劇の時代である!
 『三一致の法則』
 "3つの一致(単一)とは、「時の単一」「場の単一」「筋の単一」を言い、劇中の時間で1日のうちに(「時の単一」)、1つの場所で(「場の単一」)、1つの行為だけが完結する(「筋の一致」)べきであるという劇作上の制約である。16世紀後半~17世紀初めのイタリアの演劇論がフランスに移入され、発展し、この法則ができあがった。"
 へーって感じ。

*バロック様式でそれまでは描かれなかった空想の光などが、王に好まれるようになる。ミケランジェロ、ダヴィンチが絶対に描かない光の線など・・・浮世絵の雨の線ってのは、ある意味見えない線かもしれないが、西洋とは違って、素朴というか、王を喜ばせるためじゃないから、今で言えば、西洋にとってサブカル的だったんだろうな。ダウントンアビーが貴族の悲劇、ハウスオブカードが政治の、ブレイキングバッドが特殊な男の・・・だったらこっちは、なんだろう?やっぱり源氏から何から宮崎駿まで、とことん読むしかない。谷崎の現代小説ってあるっけか?犯罪小説があったな。

*「ロココが好き」って言っているようじゃ、なんだかまだまだだな。


◆啓蒙思想:理性を絶対として、旧来の体制を批判。民衆を無知から解放する。ただそれが本当に民衆のためになったかはわからないが・・・。
 全員(仏)
 ・ディドロ、ダランベール・・・『百科全書』を編集。啓蒙思想を集大成。ちなみに、ルソーは「経済」の項目を執筆している。
 ・ヴォルテール・・・『哲学書簡』諸国の王と親交深めた。
 ・モンテスキュー・・・『法の精神』三権分立。
 ・ルソー・・・『社会契約論』平等に基づく人民主権論。
 
・・・このあたりの記述はほとんど意味をなしていない。『社会契約説』のホッブズ・ロック・ルソーを解説しているが、本質から外れており、「なぜ」が抜け落ちて、重要性がないがしろにされている。そもそもルソーは自然状態を肯定的に捉えたとんでもな奴なので、将来世界史の教科書でも隅の方に追いやられると思う。
 それよりもアダムスミスやヒュームといったイギリスの思想家たちの方が重要だろう。無論、ホッブズも。

◆文学・・・暗記しても、読まんと意味がない
 ・古典主義・・・コルネイユ(仏)・ラシーヌ:悲劇(仏)・モリエール:喜劇(仏)
 ・ピューリタン文学…ミルトン(英)『失楽園』・バンヤン/バニヤン(英)『天路歴程』
 ・市民小説…デフォー(英)『ロビンソンクルーソー』・スウィフト(英)『ガリヴァー旅行記』
 ・ドイツ古典主義…ゲーテ『ファウスト』
 バニヤンって初めて聞いた。『天路歴程』って面白いのだろうか?

◆絵画・建築
 ●バッロク様式・・・豪華絢爛、ルネサンスではなかった空想の光
  絵画…ルーベンス(フランドル)→フランダースの犬
     ベラスケス(スペイン)
     レンブラント(オランダ)『夜警』
  建築…ヴェルサイユ宮殿(ルイ14世)

 ●ロココ様式・・・比して、繊細・優雅で軽い  
  絵画…ヴァトー(仏)『シテール島の巡礼』→貴族の合コン
     フラゴナール(仏)『ぶらんこ』→パンチラを見る男
  建築…サンスーシ宮殿(フリードリヒ2世)→CDのジャケットでみました



〜ポイント〜
微に入り細をうがつことができない世界史の文化項目たち。「本質はそうじゃない」という意見が満載しそうな、教育するのに難しいところだと思う。一つ一つ自分で探求していくしかないだろう
*のちに混乱をきたす、神の客観的証明としての科学
*人間の思考を支える哲学
*国境が曖昧な中世から、明確な主権国家体制によって要される政治・経済思想

 







◆科学
 中世まで絶対的な存在として疑う余地のなかった神を、客観的な視座から標榜するために発展していったのだ自然科学の分野だった。つまり、今では宗教とは相容れないと思われる自然科学も、出発はキリスト教だった。
 物理学:ニュートン(万有引力の法則) 化学:ラヴォワジェ(質量保存の法則)
 分類学:リンネ(動物の分類)     
 医学:ジェンナー(種痘法1796)種痘法とは、「痘瘡(とうそう)」に対する免疫を作るための予防接種。種痘ウイルスを薄めて、痘瘡に罹る前に注射して免疫をつける。痘瘡とは悪性の伝染病で、WHOによって1980年には地球上から消滅した。天然痘、疱瘡(ほうそう)ともいう。

◆哲学
 『イギリス経験論』:英)フランシスベーコン など。帰納法で結論に達する。
 『大陸合理論』:仏)デカルトなど。「方法序説」。演繹で結論に達する。
 『経験論』と『合理論』の統合 → 『ドイツ観念論』:独)エマニュエルカントら。
 このくらいにまとめておくしかないか・・・。

◆政治・経済思想
 ”国”の概念が強くなる。
 グロティウス…国際法の祖『戦争と平和の法
 ホッブズ…国王の専制政治の必要性『リヴァイアサン』(そんな単純な話ではないんだけども…)
 ロック…人民の犯行の権利(=革命権)を主張『統治二論
 ケネー…農業を重視する重農主義の祖『経済表
 アダム=スミス…自由主義的な古典派経済学を確立『諸国民の富』(だったらヒュームも必要だよなぁ)



〜ポイント〜
*北アメリカへの進出;オランダ・フランス・イギリス
*〔アフリカーアメリカーヨーロッパ〕の三角貿易;黒人奴隷の残酷な歴史。狡猾なヨーロッパ。







◆いざ、アメリカ分割
 東南アジアに進出したのと同じように、オランダ・イギリス・フランスの三ヶ国がアメリカ大陸の領土を取って行った。
 まずオランダ。1621に西インド会社を設立し、ニューアムステルダムを建設した。ニューアムステルダムはのちにイギリスが買収し、ニューヨークと名を変えた。
 フランス。初期に最もアメリカを侵略した国。ルイ14世時代、ルイジアナを手にいれる。ルイの土地だからルイジアナ。
 イギリスは細々とながら、ヴァージニア植民地とニューイングランド植民地などを建設。これはのちの「13植民地」として独立革命の舞台となる。
 スペインは東南部をがっちり押さえている。
◆イギリスvsフランス
 オランダが『イギリス・オランダ戦争』以降衰退したことなどで、結局イギリスとフランスの領土の奪い合いになった。
 ルイ14世がブルボン朝の王を送り込んだスペイン継承戦争(1701〜1713)では、フランスはそのことに疲弊してしまったのだった。ユトレヒト条約(1713)によって、フランスはなぜか関係ないイギリスに領土を譲ることになる(ニューファンドランド・ハドソン湾・アカディア)。
 『フレンチ=インディアン戦争』(1755〜63)は、ヨーロッパでのプロイセン(イギリス)vsオーストリア(フランス))の『7年戦争』(1756〜63)の裏側で起こった。イギリスの勝利によって、(1763)パリ条約が締結。ミシシッピ以東のルイジアナがイギリスへ。さらに南部のスペインも東部ルイジアナを獲得した。このことによって、北アメリカにおけるイギリスの覇権が決定的となった。

世:117(2)20170719


◆三角貿易ー黒人奴隷
 南北アメリカ大陸を支配した欧州の貿易スタイルはどんなものだったのだろうか?
 欧州が南北アメリカから欲しいのは「タバコ・砂糖・綿花・コーヒー・金や銀などなど・・・」スペインが支配する中南米メキシコあたりなんかは、金銀が豊富だと前述した。
 さて、これらたくさんの物資を、誰が収穫・生産するのだろうか?
 そう、奴隷__黒人奴隷である。
 アフリカの部族間対立を、武器を売って利用した。売り負けた方の部族を、買った側が奴隷として欧州に売りさばく。奴隷は船にすし詰めにされて、糞尿が上から垂れ流れる中、その中の多くが死んでいった。たどり着いたアメリカ大陸では、死ぬまで奴隷として働かされた。
 狡猾な白人たち、といってしまえばそれまでだが、やはり、勉強しなければ勝てないのだ。

 奴隷船




〜250年かけて、アジアを植民地化して侵略するって話
 正直書く気が滅入る。それくらい、この時代から(ますます)欧州の蛮行が激化。この回に関しては、「〇〇会社が利益がほちいので、△△が豊富なところに、暴力で△△を奪いに行きまちた」って話。なのに、なんでその地の名前を覚えなきゃいけないんだろう?そこで不当な扱いをされた人々のことを学んだ方がよっぽど得るものがあるよ。
 ・・・と思ったのだが、自分で地図を見ていたら、このクソみたいな歴史とは別の地理的面白さを感じてしまったので、ついつい白地図を印刷して記入していた。


◆アジア進出①
 まず領土分割ゲームをおっぱじめたのは、16世紀初めのポルトガルスペイン。だいたい1500年〜1600年にかけてポルトガル&スペイン、後を追っかけるように1600年〜オランダ&イギリス&フランス〜1750年という覇権の構図。
 ポルトガルは1510年にインドのゴア、それから1557年に中国のマカオを拠点にして、他にもスリランカ(セイロン島)・今のシンガポールのマラッカモルッカ諸島などの東南アジアをごっそり持ってった。1543年といったら?種子島にポルトガル人漂着だしね。
 スペインはフェリペ2世でおなじみのフィリピンにマニラを植民都市として発展させて、そこを拠点にメキシコと結んでアジア貿易を展開した。取引されたのは、もちろん、アジアからは香辛料。でも、ポルトガルやスペインから輸出できるものなんて、ないのね。だから、アメリカ大陸から取れたメキシコ銀とかで胡椒とか、あとは絹やら陶磁器やら茶やらを買い込んだ。日本銀に加えてメキシコ銀が大量にアジアに流れ込んだんだよね。つくづく、金と権力と欲望が世界史を動かしていることがわかる。資本主義を発達させたのは、紛れもなく植民地だ。 


◆アジア進出②
 17世紀の侵略者はオランダ、イギリス、フランスが主になる。なんだか反欧米史観になっている自分が怖い(笑)それくらい今は、冷静さを失っている若輩者だ。もう少し歴史は複雑だよな。
 三国はぞれぞれ東インド会社を設立して、まぁほとんど国策会社として、アジア貿易の独占権を持っていた。(蘭1600、英1602、仏1664再建)
 まずはオランダ。アムステルダムが世界的な金融都市となって繁栄しているのでしたね。オランダはインドネシアを勢力圏にバダヴィア(現ジャカルタ)を拠点にして利益を締め上げます。1623年には、アンボイナ(アンボン)という島でイギリスを締め出す事件がありました。どうでもいいのですが、これによってイギリスは勢力圏を東南アジアからインドへと移動させていきます。
 イギリスはインドのボンベイ・マドラス・カルカッタを拠点にします。今では地図に書いた通り、現地語の地名に変わっています。当たり前だ。
 そのイギリスにいちゃもんをつけてきたのだ、フランスです。あのルイ14世期に名財務総監として名を馳せたコルベールが、イギリスの拠点にほど近い場所に2つ拠点を構えて、ガチンコに突き合わせます。マドラスの南下ポンディシェリ、カルカッタの北上シャンデルナゴル
 時は少し下って、1757年。オーストリアとプロイセンが争った七年戦争【115】の裏で、それぞれに味方したフランスとイギリスが、機に乗じて(?)ここでもインドの地を巡って争います。プラッシーの戦いです。クライヴという人の活躍でイギリスが勝利し、ここでイギリスのインドでの覇権が決まります。莫大な富を生み出し、産業革命に突き進みます。

 あぁ、まじどうでもよくなってきたな。今で言えば、グーグルが〇〇の国にタックスヘイヴンするため支社を設立みたいなそんな話だろうけど、わざわざ地名やらなんやらまで知る必要があるのか?このあたり、もっと経済の仕組みを教えてくれた方がいい気がするぞ高校世界史よ! 



世:117










〜三十年戦争後(1648)の神聖ローマ〜

◆プロイセンの成立とオーストリアのマリア=テレジア(1717ー1780)
 三十年戦争の惨禍を浴びることなく、その後大きな力をもつ国が二つドイツエルベ川以東にあった。その一つがハプスブルク家のオーストリアで、神聖ローマ帝国全土よりも、このオーストリアでの統治に専念しようと三十年戦争後集結した。中でも、マリア=テレジアは政治において手腕を発揮した。彼女は子沢山で、その一人にはあのマリーアントワネットがいる。ただ、彼女の即位がプロイセンとの問題を引き起こす火種となる。
 プロイセン公国は、ブランデンブルク選帝侯国と、ドイツ騎士団領が合併することで生まれた(1701)。ホーエンツォレルン家の国である。2代国王フリードリヒ=ヴィルヘルム1世(1688−1740)はその気性から軍隊王と呼ばれ、軍備の増強をして絶対王政の基礎を固めた。その子である、一見軟弱な王フリードリヒ2世が後を継ぐ。


◆天才フリードリヒ2世(1712ー1786)と啓蒙専制君主
 フリードリヒ2世は、学芸に秀でた才能を見せる一方で、剣術さえもいやいややりながら万人をなぎ倒す天才的な王であった。フルートの演奏を愛し、作曲でもあのバッハの舌を巻かすほどであった。フランスのヴォルテール(1694ー1778)と親交を深め、啓蒙思想に傾倒する。「君主は国家第一の僕」と言って、広く教養の必要性を訴えながらも、この『啓蒙専制君主』は、結局絶対主義王政の一つの形にすぎず、農奴解放や貴族(ユンカー)らの影響が強い非近代的政治を改革する、といった真の意味での改善には繋がらなかった。



◆二つの戦争
 オーストリアでのマリアテレジアの地位が高まるにつれて、プロイセンのフリードリヒ2世は懸念する。特に、鉄鉱石が豊富なシュレジエン地方の獲得を画策して、戦争を始める。オーストリア継承戦争(1740ー1748)。プロイセンはフランスとスペインと手を組み、オーストリアはイギリスと組んだ。
 復讐に燃えるオーストリア。ここでいわゆる外交革命が起きる。ハプスブルク家は、長くライバル同士であったフランスのブルボン家と同盟を組んだのだ。そうして始めた七年戦争(1754ー63、主な戦闘は56ー63)だったが、結局プロイセン(+イギリス)に負けてしまった。
 その後のオーストリアは、マリアテレジアの息子ヨーゼフ2世が啓蒙専制君主となって、宗教寛容政策や農奴解放などで近代化を推し進めたが、その中央集権的なやり方に宮廷内の保守派や領内異民族の反乱などによって多くが挫折した。

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フリードリヒ2世って塩野七生さんも本出しているのか。興味深い。のだが、このあたりから〇〇3世やら何やら名前が似てる連中が、しかも世代を超えて出てくるから頭こんがらがるわ。
ヨーゼフ2世って、官邸主導で既得権打破して、保守派やなぜかリベ(実は既得権層)から引きずりおろそうとされている安倍首相に似ている。








Flute Sonate No. 11 in D minor> ウィキの記述だとNo.111が有名とあるが、この11番の間違いではないか?



日本語資料が少ないので、調べるのに手惑いそうだ。

追記:フリードリヒ2世の『フルートと通奏低音のためのソナタ』は全部で121曲あるそうだ。半端じゃないな。そのうち出版されているのは25曲で、最近になって7曲収録されたらしい。
いみじくもここにアップされている。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLq9eXxMdik9q-KMJ-7WNVMFXlxqkG7Hwh

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