いよいよピューリタン革命です。1640〜60年までの、クロムウェルが死去するまでの専制政から共和制を経て、再び王制になる一連の混乱をさします。
1640から始まる王党派と議会派の内戦は、初めは常備軍を要する王党派が優勢でしたが、議会派のクロムウェルがピューリタン中心の鉄騎隊を編成、これが議会派を勝利に導きます。とはいえ、議会派内部でも「王の存在は認めよう、つまり立憲王政でやっていこうじゃないか」という長老派と、「いや王はいらん、あくまで共和政で行くぞ」という独立派が対立します。当然クロムウェルは、独立派ですね。彼は武力でもって長老派を追放し、1649年、つにチャールズ1世を処刑します。ここに、イギリス史上最初で、そんでもって最後になる共和政が樹立します。
王のいない政治、共和政になったイギリスは、悲しいかな、クロムウェルの独裁になっていきます。せっかく王がいなくなったのにね。軍隊から人気のあった急進的主張をする水平派を弾圧したあと、今度は王党派の拠点であったアイルランドの先住民たち、ケルト人を征服します。土地を没収して、事実上の植民地として小作地とされます。
さらに、ビジネス上の宿敵であったオランダに痛手を食らわせます。航海法という港湾の使用権に関する法律を制定します。それまで、世界各地の港はイギリスがたくさんもっていたのですが、そこを利用する(中継貿易する)オランダががっぽがっぽと儲かるのは気にくわない。この航海法で、オランダ商船のイギリス港への出入りを禁止してしまうのです。そうしたら、はい、戦争になりますね(笑)イギリス=オランダ戦争(52〜54)です。これはイギリスが勝利して、それまで興隆していたオランダとの力関係が逆転していきます。
追記:この戦争後、1664年に北アメリカ東海岸にオランダが持っていた植民地ニューネーデルラントをイギリスが奪った。中心都市の名は、ニューアムステルダムから、『ニューヨーク』へと改名された。
さて、絶対王政を終わらせたピューリタン革命は、特権商人の独占権を廃止するなど、市民層の立場を強めた功績があります。自由な資本主義でいこうという感じですね。こういう自由を切り開いて行く変革はアメリカ独立革命やフランス革命にも通ずるものがあるのですが、もう目も当てられないほど残忍な過程を孕んでいます。フランス革命がそうであったように。
このピューリタン革命の主人公クロムウェルも、最初は王政を止めるために共和政にしたのに、結局独裁者になっていくのです。1653年、終身の護国卿となります。つまり、「俺は死ぬまでリーダーだ!」ってことです。これじゃあ、それまでの王政、専制政治と何も変わらない。国民の不満はますます高まっていきます。