夏のスクーリングが始まった。2度目だ。
昨年は1、2、3期全て、午前午後両方出たが、今年は2期だけだ。
とった科目はゲーム理論と文学(悲劇論)で、胸を躍らせて履修した。
内容は、面白い。しかし、講師のキャラが独特で、授業自体がつまらない。これは問題だ。

ゲーム理論は、ナッシュ均衡を最初に学んで、その後時系列を含んだ「展開型ゲーム」をやった。
単なるナッシュ均衡を求めるのではなく、「部分ゲーム完全均衡」を求める考えは、面白い。
しかし、論理学を学んでいたのと同じように、あまり深入りしてもつまらなさそうだ。事実、先生が戦略的に生きていらっしゃるようには見えないからだ。
ただ、明日は情報集合を学ぶようで、これは情報の不透明性を扱った内容になって面白そうだ。

悲劇論は、18世紀フランスで起こった悲劇論の再構築過程で、ラシーヌらなどが、アリストテレスの悲劇論(恐れや哀れみなど)を取り上げたことに、20世紀になってハンスレーマンやクリストフメンケらが、もっと前向きに悲劇を捉えなおそうとしたことを説明していた。
それはいいのだが、しかし、当の先生が、やけに「原発批判」「グローバリゼーション批判」をするもんだから、結局とんぼ返りして悲劇=悲劇と言いたい気がしてならない。昨年の日本美術の教員同様に、非常勤講師としてのルサンチマンが溢れかえっている。そして共通しているのは、やけに繊細で親切そう。そしてナルシスティック。語らせると愚痴ばかり。あれはまさに、「ライトがついていない」「自分自身の問題から目をそらして『今にも通ずるうんぬん』を延々と云う人間」だな。よし、明日から、あの教員の言うことを批判的に捉えて、質問してみよう。
ただ、ゲーム理論的にそれは戦略として正しいか?あのまま黙って受けていても、眠い。扱っている題材自体は、自分の将来に役立つ。だから、休んでも仕方がない。だったら、積極的に受ける。積極的に、肯定的か、それとも積極的に批判的か?中立もあるか?それとも消極的でもいいか?
いやいや、積極的に行こう。そして、批判的に行こう。そのためには、アンティゴネだって読む必要がある。いい強制力ありだ。

明日は17:45〜映画上映あり。『十字路の夜』楽しみだ。