大航海時代になって、スペインのコルテスが滅ぼしたアステカ王国、ピサロが滅ぼしたインカ帝国、そしてスペインのコンキスタドール(征服者)に滅ぼされたマヤ文明には魅力的な文明が存在した。
メキシコ高原に興ったアステカ王国(15世紀)は、都テノチティトランに最盛期には人口30万人がいたという。
ユカタン半島にはマヤ文明が興り、有名なチチェン=イツァの遺跡がある。ピラミッドの階段の側面には、春分と秋分の日没に日光の陰影がジグザグに浮かび上がり、最下段の蛇神の頭部を型どった彫刻と合体する。都市伝説などでも有名だ。
アンデス高地のインカ帝国は、都クスコにある空中都市マチュピチュが世界的な観光地となっている。興味深いのは、ナイフの刃も入る余地のない精巧な石造建築で、今でもその街並みが見られる。また、他の文明と違って文字が存在しないのだが、キープ——結縄(けつじょう)と呼ばれるヒモの結び目の位置、数や色によって数量や事件を記録する記号文字の体系があったそうだ。
彼らが滅んだのは、やはり武力の差による。アンデス高地のボリビアポトシ銀山に代表されるように、豊富な金・銀・青銅器に恵まれたが、肝心の鉄器がない。また、車や馬といった大型家畜がなかったため、欧州のコンキスタドールたちにコテンパにやられた。その辺りは、ラス=カサスの「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」にも記されている。
【追記】:アンデス(インカ)、アステカ、マヤはそれぞれ暦法を用いたと習ったが、こよみの学校なる面白いウェブサイトでそれらを学べる。ただ96回のペルーアンデスと99回のマヤ暦の続編が、なぜか読めない。97回アステカと98回マヤ前編は読める。
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イタリア・フィレンツェで始まったルネサンスは、人間中心——ヒューマニズムの精神が爆発した芸術運動だが、神を中心に据えなくても良いという考えから、のちに美術の遠近法が生まれたというのは、本当だろうか?
ダンテの神曲は、イタリアの方言、トスカナ語で書かれているから、神曲と言えども人間のお話だというのは面白い。
ペストで苦しむ貧乏人をよそ目に、金持ち10人が集まってゴシップネタを繰り広げる『デカメロン』(デカは10の意)は、今の社会でもむやみやたらと倫理観を表向きでは説き伏せようとする文化人を風刺する意味でも、参考なろう。
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